使用済み下着からみるフェチの世界。実際の小説と共にフェチ文学をご紹介♪
こんにちは、ピュアジュエルサポート担当の桜井です(^▽^)
今回のテーマは実際にある小説と共に、歴史を遡り素晴らしきフェチ文学の世界をご紹介したいと思います♡
①フェティシズムとは
“普通の愛は、あらゆる種類の音で構成された交響曲シンフォニーのようである。そこからは、さまざまな興奮が生まれるので、言ってみれば多神教である。それに対して、フェティシズムは、単一楽器の音色しか知らない。ある限定された興奮から成る一神教である。”
これは、アルフレッド・ビネが1887年に『哲学雑誌』の中で提唱した「フェティシズム」の定義です。
現在は一般的に、異性の体の一定の部分や衣服などに性的に引き寄せられることを指す「フェティシズム(=フェチ)」。フェチは文学の世界では、古くから描かれてきたテーマでもあります。
今回はそんな悩ましい「フェチ文学」に迫っていきます♪
②脚フェチを描いた谷崎潤一郎の作品
“フェチ文学”と聞いて、最初に谷崎潤一郎の名前を思い浮かべる人も多いことでしょう。谷崎潤一郎の作品には、一貫して「女性の足」に対するフェティシズムが詰まっています。
ストレートに「足」へのフェティシズムが表れている短編が、『富美子の足』。初老の男・塚越が芸者・富美子の足の虜になり、やがて病に倒れて死ぬまでが描かれます。臨終の日、塚越は寝床で富美子にこう懇願するのです。
”ああ、もういけない。……もうすぐ私は息を引き取る。……お富美、お富美、私が死ぬまで足を載っけていておくれ。私はお前の足に踏まれながら死ぬ。……”
“私はお前の足に踏まれながら死ぬ”。( ゚д゚)
これは、本物のフェティシストにしかできない発想でしょう。富美子は黙って2時間半、左右の足で交互に塚越の顔を踏み続けます。そして塚越は小さな声でつぶやくのです。“有り難う……”。これこそ真の脚フェチの思想ではないでしょうか
ちなみにこの作品は映画化されていますので、気になる方は是非見てみてくださいね♡
谷崎の作品の端々に見られる常軌を逸した「足」への執着。彼は、やはりと言うべきか、私生活でも相当な足フェチだったようですよ♪
③腕フェチを描いた川端康成の作品
文学界の「奇術師」とも称された川端康成。『伊豆の踊子』や『雪国』に代表される日本的な美を描いた小説のイメージが強いかもしれませんが、幻想的・官能的な作品も多く遺しています。
中でも、若い娘から一晩の間、腕を借り受けるという衝撃的なストーリーの短編が存在します。その名も、『片腕』。冒頭部分を読んでみましょう。
「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。
「ありがとう。」と私は膝を見た。娘の右腕のあたたかさが膝に伝わった。
( ゚д゚)腕をはずして膝に置く??この文章だけでもかなり解釈が難しく困惑する人も多いと思います(笑)
しかし、主人公はこのあとも腕との会話を楽しむというストーリーなのですから、真の腕フェチがこの世で最も愛している腕との会話を楽しむ…理想のお話と言えるでしょう
さらに、川端の代表作として語られることも多い中編小説、『眠れる美女』。これは老いた男が海辺の宿で、深く眠らされた裸の娘とともに一晩を過ごす物語です。眠る娘の姿は、以下のように描写されます。
娘は右の手首をかけぶとんから出していて、左手はふとんのなかで斜めにのばしているようだったが、その右の手を親指だけが半分ほど頬の下にかくれる形で、寝顔にそうて枕の上におき、指先きは眠りのやわらかさで、こころもち内にまがり、しかし指のつけ根に愛らしいくぼみのあるのがわからなくなるほどにはまげていなかった。
言ってしまえば、少女が手を曲げて寝ているだけのシーンです(笑)
そのシーンをこれほどまでに細かい表現で描けるのはなぜか?それは、川端が手フェチだからに他なりません。
④江戸川乱歩『人間椅子』からみえるフェチ
探偵小説・推理小説で有名な江戸川乱歩。乱歩の小説の中にはグロテスクなもの、ホラー要素が強いものも多数見られますが、際立って奇妙な作品が『人間椅子』です。
女流作家の元に1通のファンレターが届くところから、物語は始まります。
それは、椅子職人を名乗る差出人からの手紙でした。差出人の男は手紙の中で、いつからか自らが作った椅子に入り込み、その中で暮らすようになったという恐ろしい告白をするのです。男は、自分が潜んでいる椅子に初めて腰掛けた外国人の娘に愛着を覚えます。
彼女は何の不安もなく、全身の重みを私の上に委ねて、見る人のない気安さに、勝手気儘かってきままな姿体を致して居ります。私は椅子の中で、彼女を抱きしめる真似をすることも出来ます。皮のうしろから、その豊な首筋に接吻することも出来ます。
き…気持ち悪い…( ゚д゚)と思った人は私だけではないはずです(笑)そんな椅子に座ってしまったら…と感がると鳥肌が立ちますよね。更に彼は椅子の中でこんな事を考えます
この椅子の中の世界こそ、私に与えられた、本当のすみかではないかと。私の様な醜い、そして気の弱い男は、明るい、光明の世界では、いつもひけ目を感じながら、恥かしい、みじめな生活を続けて行く外に、能のない身体でございます。それが、一度、住む世界を換えて、こうして椅子の中で、窮屈な辛抱をしていさえすれば、明るい世界では、口を利くことは勿論、側へよることさえ許されなかった、美しい人に接近して、その声を聞き肌に触れることも出来るのでございます。
つまりこの男は、椅子の中にいさえすれば布越しに美人にさわれると言っているんです!しかも、暗くて狭い椅子の中を“本当のすみか”だと思い込んでいる。「あれっ、もしかしてこの人、可哀想な人?」そう思えてこないでしょうか(笑)
何人目かの女性が彼の椅子に腰掛けたところで、彼はこう思います。
彼女は私に、嘗かつて経験したことのない理想的な肉体美の感触を与えて呉れました。私はそのあまりの美しさに卑しい考えなどは起す暇もなく、ただもう、芸術品に対する時の様な、敬虔な気持で、彼女を讃美したことでございます。
ここまでくると彼を応援したい気持ちになってきます(笑)椅子越しの女性の体に触れる、というフェチに目覚めた男。その愉しみの裏に、強い劣等感やコンプレックスがあったことは間違いないでしょう…
実は、乱歩自身も非常にネガティブな性格で、人間嫌いだったことが知られています。
押絵になってしまった男、人形を愛人にする男……など、モノに執着する男が乱歩の作品に多く登場するのは、その「人間嫌い」に端を発しているのかもしれません
⑤耳フェチ・匂いフェチの文学
その他にも、フェティシズムの匂いがする小説を二つご紹介します
村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』には、キキという名前の、耳専門のモデルが登場します。キキのその形のいい耳についての、主人公“僕”の描写がこちらです
会った最初の日にキキは僕に個人的に耳を見せてくれた。(中略)それは写真よりももっと凄い耳だった。信じられないくらい凄い耳だった。彼女は営業用に耳を出す時には――つまりモデルをする時には――意識的に耳を閉鎖するんだ。だから個人的な耳というのは、それとはまったく違う。わかるかな、彼女が耳を見せると、それだけでそこにある空間が変化してしまうんだ。世界のありようが一変するんだ。
信じられないくらい凄い耳っていったいどんな耳なんでしょう(笑)そんな耳の持ち主がいたら私も一度は見てみたいです♪
また、変態文学として名高い、田山花袋の『蒲団』。
その衝撃的なラストは高校の文学史などでご存じの方も多いと思いますが、ここで改めて読み返してみましょう。
大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団――萌黄唐草もえぎからくさの敷蒲団しきぶとんと、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨びろうどの際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。
匂いを嗅ぐ際、“際立って汚れているのに顔を押附けて”いる、というのがポイントです!これは使用済み下着のクロッチに顔を押し付ける匂いフェチの方々の多くが実践しているのではないでしょうか??有名な文学の中にも匂いフェチの世界が描かれているんですね♪
⑥おわりに
手や足、耳に、匂い――。「ちょっと分かるかも」という方もいれば、「本気で無理……」と引く方もいるでしょう
冒頭でもご紹介したアルフレッド・ビネはその論文の中で、普通の愛においても多かれ少なかれフェティシズムは存在する、と述べています。中でも、“何かちょっとしたものに対する愛が、他のものをすべて消してしまうほど”の重度のフェティシズムは「病気」になりうる、と述べています
もし、今回ご紹介した小説の中に少しでもゾクゾクするフレーズがあったなら、あなたもその「病気」にかかり始めているのかもしれません(* ´艸`)
そんなフェチの皆様をピュアジュエルは歓迎しております♪
あなたのフェティシズムを満たしてくれる女の子が見つかるかもしれませんよ?恐れずにフェチへの扉を開いてみませんか?
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